先日、六本木芋洗坂の方のギャラリーへ足を運んだ。この辺はその昔、撮影のロケハン等でしこたま歩き回った覚えがあるのだが、いつ来ても何一つ懐かしさを覚えない。まだまだ六本木ヒルズが目障りなのは確かだが、やはりココ神宮前近辺と同様で、少しでもご無沙汰しているとガラリと風景が変わってしまう。この2〜3年は特に顕著だ。しかしそんな事にもすぐ慣れてゆく。他人は知らないが、しょせん薄れゆく記憶など自分の頭の中だけで勝手にモノローグにしてしまえばいい。
ところで、最近ではデジカメ付きケータイの普及も手伝って、猫も杓子も日常のアーカイブ作りに躍起である。それをヨコ目に見ながら「昔の人はどうだったのだろう」と思った。もちろんカメラなどない訳だから、被写体を捉える時の感覚は現代人より鋭敏だったのではないかなどと思ったりする。おそらく人々の記憶の置き場所は今とは全く違う場所に、しかも大切に保存していたのではないだろうか。景色だけではなく、空気や匂い、またいつ会えるか分からない友や、愛しい相手の残像を忘れまいと魂に焼き付けていく熱い作業は今では「ウザイ」のかもしれない。だからと言って、何でもホイホイ記憶媒体に任せておくのはどうなのだろうか。観光へ出かけても風景を写真にさえ切り撮ってしまえばハイお終いとなってはいないだろうか。まるで自分以外の存在を感受することを拒否して、一方的な自身のストーリーに組み込んでいるだけの作業に見えてしかたがない。人の記憶は薄れていくが、少なくてもそんな物よりはマシである。