デザイナーの仕事は派手に見受けられがちだが、実際にはそれとはほど遠く、地味な作業の連続である。最近はコンピュータで制作する事が一般になったこともあり、私の仕事環境もスッキリとしたが、つい15年ほど前までは正に肉体労働者のそれに近いと言っていい。そんな一昔前の時代に、特にエディトリアル(編集)デザインは大変な作業になることは簡単に想像がつくだろう。私は広告デザイン専門なのでそれほどの経験はなかったのだが、そんな折り「アサヒビール100年史」という社史を制作する事になる。当初は某大手リサーチ会社が請け負っていたのだが、レイアウトを含めるデザインに関してクライアントの了承が下りず、そのリサーチ会社をグループ傘下に持つ勤めていた会社に話が舞い込んだ。どういう訳だか上層部の許可を受けたうえ、所属チームを飛び越えて私に直接話が来た。毎日泊まり込み覚悟で他のクライアント数社を受け持っていた私にはそんな余裕はまったくなく断固として断りたかったが、ディレクションと基本レイアウトだけやる事を条件に渋々了承した。しかし、会社組織というのは恐ろしいもので、約束した「基本レイアウト」がOKになったとたん「見本レイアウト10ページ」になり「30ページ」になり「100ページ」になり、結局は会社の思惑通り「一冊300ページ超」すべてをやる羽目になる。企業の社史というのは偉そうな顔つきをした文字だらけの一色もしくは二色刷りの物が一般的だが、プレゼンで写真や図版を多用した馴染みやすいフルカラーのデザインを提案し、先方が予算を組み直してまで食いついてきた経緯があるから大変である。今のようにコンピュータがあればまだしも、全ページのレイアウトやら色やら印刷指定をしなくてはならない。そのうえ付けてもらったのはアシスタント1名のみ。レギュラーの仕事を抱えながら私は途方に暮れた。〜そんな悪夢のような仕事だったが、他に類を見ないユニークな社史だったことが評価されたのか、他企業の見本にもなったそうだ。やがてそんなことも忘れていた頃、仕事で立ち寄った国会図書館の棚に「アサヒビール100年史」を見つけ、つい胸が熱くなった。この時感じた感覚がデザイナー冥利というものだろう。