PHOTO : 東京都慰霊堂には関東大震災と東京大空襲の身元不明者の霊が合祀されている
「愛国心」この言葉を聞いてあなたはどう思うだろうか?
「僕には愛国心がある・・・?」
「私には愛国心はない・・・?」
どちらの場合も今一つしっくり収まらないこの厄介な言葉の持つ定義とはなんだろう。
「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する・・・云々」
近頃この「愛国心」をネタにして教育現場で教えようと企てる
石原慎太郎(現都知事)などの右派がいる。
戦後この国ではその経験からタブー視されてきたが、
ここにきて何をトチ狂ったのか教育基本法改正案で「愛国心教育」をおっぱじめた。
この事は国家権力から愛国心を「強制される」と言ってもいいだろう。
強制される事と自然な気持ちでは、その意味において天と地の差がでてくる。
まず僕は国家そのモノを愛する気などさらさらない。
生まれ育った郷土と言う意味で、
愛する家族や肉親のいる国と言う意味で少しぐらいなら贔屓するには違いない。
オリンピックや国際競技で日の丸を振りながら日本人を応援するし、
日本人が世界的に認められ、学問や芸術で活躍すると誇らしくもなる。
そんな誰もが思い当たるところを「愛国心」だと言う人も居るかもしれないが、
しかしそれは祖国愛、郷土愛であって「愛国心」とは似て非なるものだ。
ましてや「強制される愛国心」ともなると「戦争の出来る心を育む」としか思いようがない。
家族や肉親を愛する気持ちを「愛国心」という言葉にすり替え、
当然のように「愛国心」が誰の中にでもあるように錯覚させ、
僕やあなたも共犯者に仕立て上げられる。
武力行使の出来る「立派な国」を目指して。
(1)IMAGINEはもういらない
(2)恐怖は儲かる
(3)ヒロイズムという神話
(4)そして戦争は正当化される
(5)戦争が出来る立派な国にしよう
(6)ナショナリズムからパトリオティズムへ
(7)正義は我にあり
(完)イマジンよりアクション