PHOTO : 戦災資料センター見学後の背中は皆ひと回り大きく見えた
しかしながら僕は「愛国心」を全否定するつもりはない。
「国を憂れうる心」すなわちパトリオティズムとするならば、
確実に愛国心は社会正義になり得ると思っている。
要するにその意味を求める矛先が違うのであって、
ヨーロッパなどの例を探り思慮深く愛国心を考えていくと
それは我々国民側が持たなければならないモノではなく、
逆に我々が国家権力に「求める」ものではないだろうかといった考えに至る。
愛国心とは日の丸を身に付ける事ではなく、
政府を支持する事でもなく、
また教科書に載るような抽象論でもなく、
愛国心とは政府に「原理原則を守らせる」ことだと。
加えて言えばこれまでの戦争の歴史から明確に言えるのは、
国家が国民に忠誠を尽くすべきで、
国民は国家に忠誠を尽くすべきではないと断言したい。
政府は僕たち国民の基本的人権を保障するのが役目であり、
義務を果たさない時は我々国民は政府を改編し廃止できる。
国民の負託を受けた政府がその信頼を裏切るなら、
政府に対し「愛国心がない」と声を上げればいい。
それが主権在民と言うものだ。
どうだろう?
国家権力側に「愛国心」を求めるのであれば、
それはとてもしっくりと収まる。
(1)IMAGINEはもういらない
(2)恐怖は儲かる
(3)ヒロイズムという神話
(4)そして戦争は正当化される
(5)戦争が出来る立派な国にしよう
(6)ナショナリズムからパトリオティズムへ
(7)正義は我にあり
(完)イマジンよりアクション