【書を捨てよ町へ出よう】かつて寺山修司は若年インテリ層に対してこのように投げかけた。それはたぶん当時マルクス・レーニン主義へと傾倒するインテリ学生左派に対しての問いかけだったように思う。志はともかくリスクを伴わない殻の中から頭でっかちな思想を並べ続けたところで屁の突っ張りにもなりゃしないという事だ。
つい先日、取引のあった馴染みの書店から珍しく営業の電話があり「デザイン、アート系の書籍がまったく売れない」といった話を聞いた。おそらく一般的に高額な物だから世の中の景気に左右される事はもちろんあるものの、最たる影響は近頃のデザイナーが美術本に興味を示さず買わなくなってしまったと嘆く。もともと富山の薬売りのようにデザイン系のプロダクションや個人事務所などを回り行商するスタイルなので、デザイン業界の現場には別の視点でそれなりに詳しい。ではなぜ最前戦のデザイナー達、特に若いデザイナー達は美術本を手に取ろうとしなくなったのか?・・・これを世間が言うように何でもかんでもデジタルツールの弊害と決めつけてしまうのはちょっと待って欲しい。この事が寺山の思いに至ってしまうのは恐縮だが、「書を捨てよ」と言っているにも関わらずどこか似ている気がしてならない。つまり自己の殻で完結してしまい他への興味は沸かず、デザインスキルに投資する思考さえなくなっているのが今の職業デザイナーに増えているのではないか?といった思いに至る。
申し訳ないけど僕は年若きデザイナーの将来を案じて指摘するほどお人好しじゃない。デザインという崇高な知的行為をそんなアホな連中に踏み荒らされたくないと願っているだけだ。アホだから言われるままの安い単価で仕事に追われ、センスもないので安価が妥当になる。嗚呼、考えるだけでも愚かしい。本当にこのままでは近い将来Working Poorに代表される職域になってしまう。そんな事を危惧しているのです。