私の親父はどもりだった事を思い出した。
近ごろは、どもっている人とはお目にかかることがない。子供の頃、近所には結構いた記憶がある。電柱に「赤面性、どもり、直します」と謳った看板がやたら目に付いていたので悩んでいた人は多かったと想像できる。当時は矯正するようなたぐいのものとは知らなかったのでどもっている人と話すのが好きだった。
同じクラスメイトにも居て、彼とはよく遊んだ。感情が高揚すると激しくどもるので、楽しくてよくからかった。今になって思えば悪いことをしたと思うが、体育の授業では運動神経の弱い私が逆に彼にからかわれたのであいこだ。ところがその後、久しぶりにあった彼はどもっていなかった。努力したに違いないが、彼ではなくなってしまったようで、とても寂しい気分になった。
そういえば、私は当時から運動神経と計算能力は彼以上にどもっていたが、今もまったく治らない。
どうでも良いことだが「どもり」と言わずに「きつおん」と言わねばならないらしい。