なぜ「ギター」というものに没頭してしまうのか?世間からはコレクターと呼ばれるが、実を言うと腑に落ちない。例えば私のような者を「中毒者」と言ってはどうだろう。そもそも「Holic」という言葉はどうやら精神医学界の造語のようなのだ。残念ながら一般的な辞書には登場しないのだが、この国で特に耳にするのが「仕事中毒」を指す「ワーカ・ホリック」がある。「ホリック」は精神医学で使われるワードの一種で「精神異常者」と「中毒者」を大きく段階的に区別するときに前者「Lunatic」に対し、後者を「Holic」と記述するのだそうだ。そしてこの両者にあてはまらない重度の異常者を「mad」と表す。日本語ではこれら全てを俗に「キチガイ」と言うのだが、段階別に表現が異なることは大変興味深い。面白いことに、その「中毒」の中にも受動的な「Holic」に対し、能動的な「Mania」が存在する。俗に言うマニアというものは、自己決定において行動し、実行におよぶので知的で理論的だ。ところが同じ中毒でも「Holic」は感性に身をまかせているだけなので、そこに秩序はなく、ただ取り留めもなく続いて行く。そこにある種の秩序があるとすれば、“失われた繋がり”を追い求めているにすぎない。つまり満ち足りないのだから、永続的中毒性という点では「Mania」のそれよりも重症であると言えるだろう。しかし「Holic」の語源をひも解くと、キリスト教の安息日「holyday」の所以でもある「holy(神聖な)」に行き着き、ひとまず私は安心した。あえて例えるなら“聖なる酔っ払い”と言ったところだろうか。このように「Holic=中毒者」とはいっても「虜(トリコ)」と理解すべきであろう。なぜならそこには、すばらしく自虐的な解放区が確かに存在している。そして「Holic」は暴力的で知的な究極の答えなど決して求めはしない。