「有楽町」というイメージがまたとんでもなく変わったようだ。残念ではあるが、あの丸井が巨艦店を出した。相変わらずそんな新名所に食指を覚える事はないが、今回はそのうち覗いてみようかと思う。私にとって有楽町の駅周辺は特別に思いが強い。東京で最初に就職した会社がその近くにあって、転職した会社も同じエリアにあったため、あの頃は毎日のように駅を利用していた。すでに大阪で自動改札に慣れていたが、駅員がパチパチ改札していた事にまずは気に入ってしまう。ましてや駅周辺に東京のイメージそのままの匂いがプンプンしていて、一番好きな駅だった。今までも東京と言えば有楽町だとはばからなかったが、それも今回の事で止めようと思う。もともとブンヤや興業界や役人の街で、大手町や丸の内といったいわゆるキャリア背広組が闊歩しているビジネス街とはまったく雰囲気が違っていた。北に官庁街から丸の内、南に「オジサンの楽園」新橋、東に銀座、西に日比谷公園と、正にここは人の流れの交差点だった。また戦後の闇市の面影もガード下にわずかに残り、朝日、毎日、読売、報知の各社屋が駅を取り囲むように立っていた頃の、「日本のフリート街」と呼ばれていた雰囲気がたまらない。だからガード下の一杯飲み屋でタムロしていると、ぶらり立ち寄った編集明けのキャップと文士が静かに祝杯をあげているといった風景を、勝手に想像しながら客層を楽しむ事も出来た。しかし、そんな気骨の宿ったインテリジェンス街もマリオンが出来た頃からあっという間に薄まっていき、退社する頃にはどこにでもある薄っぺらな街になっていた。私の体験した有楽町は「重」より「華」。「陰」より「光」へ変貌する最後の断末魔の姿だったということだ。会社員時代、日比谷にあった取引先の通信社は、帝都時代の空気を伝える最後の大建築と言われた「三信ビル」に入っていた。あの大好きだったビルもつい最近なくなったと聞き、足を運ぶ理由もなくなってしまった。そう言えば、そんな変貌していく有楽町の歴史をつぶさに見てきた建物に交通会館がある。一杯のコーヒーで楽しめた、あの回る展望レストランは今でも「反時計回り」に回り続けているのだろうか?