どんなに伝えたい想いがあったとしても、その想いを投げつけてしまえば人は思わずかわしてしまう。疑いもしないで「愛だ」「平和だ」と、上段から振り下ろすようなメッセージを綴ったとしても、そんな一人称な想いを誰が受け取るというのだ。自分の想いを歌に綴るということは、たとえば君の何処かにある想いを歌にしていると言っても過言ではなく、そんな想いがあなたに届いたのであれば、おそらくそのメッセージは君のモノにもなり、その時初めて歌として存在できる。そんな感覚を弾き語りを演りだした当初からなんとなく抱いている。自己表現の方法は人それぞれ違うだろうが、他者に向かう自己からしかメッセージは生まれないと思っている。「受信」したモノを咀嚼する大切さ。今回の巡業でさらに学んだ。
しつこいようだが、これは音楽に限らない事をもう一度念を押しておきたい。初めに触れたように、一見すると便利に見える世の中を見渡してみると、情報ばかりが飛び交い、知らない事でも知った気になり、体感した気になってそれでもなお、若者は失敗しないようあまりにも慎重になりすぎて、孤立化し身動きが取れなくなっているように映る。自己の本質やコミュニケーションの本質すら時代とともに変化していくことも事実だろう。しかし人の想いから発する体温だけは、ありがたいことに電子化ができない。「ここにいるよ」と大声で発信しても、他者の存在を無視していれば見向きもされなくなる。かといって面と向かえば、思い通りにならないで傷つき合うこともある。悔しくて眠れない夜もある。誤解され嘲笑されて自信をなくすこともある。決して甘いものではないが、少なくとも裏切ろうともしない確実なデータなんかより、出来損ないの人間関係のほうがよっぽどマトモだ。そしてそんな関わり合いの中で君にも託される「バトン」が必ずある。
バトン その1
バトン その2
バトン その3
バトン その4
バトン その5
バトン おわり