今年の北京五輪も閉会まであとわずか。いまのところ大きなトラブルもなく順調なようで、オリンピック組織委員会もさぞ胸をなで下ろしている事だろう。スポーツ観戦は日頃からほとんど興味が湧かないので、中継を見る事はないと思っていたのだが、先日の金メダルを懸けた女子ソフトボールはしっかりと観戦した一人で、思わず拳を振り上げ「ワーキャー」と応援していた。試合中、幾度も「もうダメか」と諦め気分にもなったが、それでも荒々しい鼻息のまま行方を見守った。そしてそんな事とは全く関係なく、日本女子ソフトボールチームは見事に金メダルを捥ぎ取った。いや〜こりゃドエライ快挙である。すぐさま国内の各中継地点から興奮覚めやらない喜びの声が伝えられる。応援していた大勢の地元の人たちや、号外を手にした街角の人たちの口々から「勇気を貰いました!」「ありがとう!」「もう最高です!」と歓喜の言葉が次々と沸き上がる。
ところでいつからだろう、「勇気」や「感動」を貰うようになったのは。激闘に勇気付けられたり感動する事はあっても、それを貰ったといった感覚はまず湧かないぞ。もしも「いいからあげるよ」と差し出されても、「いえいえ、ボクはただ見ていただけですから」と言って丁重にお断りしたい。しかし近頃の反応は称賛の声より先に判を押したかのように「ありがとう!」って無邪気に言いのけている。そんな所だけチャッカリと自分の物語に組み込んでいくんだろうか。汗ひとつかかないでさ。と、また私の天の邪鬼がヒョイと顔を出す。NHKがオリンピックテーマソングに「GIFT」を起用するぐらいだから、これが今の世相なんだろうが、どうにも腑に落ちてこない。憎まれ口のついでに言ってしまうが、最近のラジオを聴いていても腑に落ちない点がある。視聴者からの便り(メール)で多くの書き出しが「お疲れさまです」ってのもどうなんだろう。。。感謝や労いの対象がかなりズレてしまっている気がする私は相当ヒネクレ者です。